心の空虚

時間の隙間を埋めるようにひたすら本を読む。

でも一々買っていてはお金が続かない。

その点、図書館は本を無料で貸してくれるのでまさに夢のような場所だった。

 

いまは状況がさらによくてKindle unlimitedを使えばいくらでも借りられて、外出先でもどこでも読書ができる。

 

だけど。わたしがこんなに本を読むのは、本当に読書が好きだからなのだろうか。

知識は増やしたいと思う。でも1日1冊くらいのペースで読んでいて、大抵の知識はあとで思い出せない。

本で読んだから、 Aがある ことは覚えているけど、 Aはなにか までは引っ張り出せない。

つまり知識として身についていない

 

じゃあなぜ読書をしまくるかといえば、

心の空虚を埋めるため 

かもしれない。

 

空虚があるのを知っているのは、 それが満たされていたことがあるから でもなにで?どうやって?

わからないから

今日もわたしは読書をする。

心の空虚は一時的に埋められるし、どこかに埋め方が書いてあるかもしれないから。

 

輪廻

仏教もインド思想もすごく面白くて、この思想とともに人生を生きていけたらどんなに心強いかと思うのだが、

 

肝心の

 

二度と輪廻転生したくない

 

という気持ちが理解できないので、

仏教徒にもヒンドゥー教徒にもなれそうにない。

 

むしろ輪廻転生しまくって、あらゆる人種、あらゆる階層、あらゆる動物、あらゆる植物の視点でこの世界を観てみたい。と思えるのはわたしが恵まれた環境で生きているからなのか。

 

ちなみに二度と産まれないメリットが大いなるものとの合一ならそれもありっちゃありかなと思うので、どちらかというとヒンドゥー教寄り。

 

ま、死後のことなど考えてもわからないので、

善く生きよう。

 

 

クローン

自分のクローンを作りたい人の気は知れないが、想像するに、

大概の場合、クローンはクローン自身のためではなく、クローン元の人間のために生み出されるだろう。本体が生き延びるために臓器を取るなり、厭なことの身代わりにするなり。中には、幼い子どもを残していくのが不憫で代わりになんてケースもあるかもしれないが、何にせよクローンに対して、それがわたしであるという意識はないはずだ。

 

ところでわたしの身体を構成している細胞は日々生まれては死んでいき、7年もたつと完全に入れ替わるらしい。

全く同じ遺伝子情報を載せた全然違う細胞によって構成された生命体という意味では、今のわたしは7年前のわたしのクローンのようなものだ。それにも関わらず、わたしは7年前のわたしと同じ人間だという意識がある。

 

一方でたとえばわたしが5分後に何らかの理由で、記憶喪失に陥り、記憶が永久にもどらなかったとしたら、構成する細胞はほとんど変わらないにもかかわらず、記憶喪失後のわたしは5分前のわたしと同じだと言い切れるかかなり怪しい。

 

つまりわたしとは実体のないただの概念なのかもしれない。

日本人が生まれては死に、その構成員がいくら入れ替わっても日本国があるように、構成員が全く同じでも占領されたら別の国になるように、そして国というものが実体のない概念であるように

 

わたしの細胞がいくら入れ替わっても、わたしだと思うように、記憶を失ったらわたしではない気がするように、わたしとはただの実体のない概念なのかもしれない。

 

日本人は日本国を幻想できる。

細胞がわたしを幻想しても不思議ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしの坐禅

「わたしの坐禅」という本を買った。

本というより豆本。

豆本好き+仏教好きのため一目見て気に入った。

表面には白隠禅師坐禅和讃とその現代語訳、裏目には坐禅のやり方が書いてある。

 

以前、坐禅を教えてもらいに何度かお寺に行ってみたけど、あの張り詰めた緊張の中でなぜか唾が飲み込めなくなって、ごくっごくっと音がしてしまうので、どうもわたしには向いていないようだと思って辞めた。でもそのときに聞いた白隠禅師坐禅和讃はとてもいいなぁと思ったので、これからも折に触れて見返したい。いつか唾問題クリアできるかもしれないし。

心の穴

心に空いた穴を埋めたくて、

食べ過ぎたり飲み過ぎたり、恋愛にのめりこんだり、答えを教えてくれそうな本を読みあさったりしてきたけれど、

もしかして、この穴はどうやったって埋まらないんじゃないか、というよりむしろ埋めなくてもいいんじゃないのか。

ほーここに穴があいてるなーと認識さえしていれば、そこに落ちることはないのかもしれない。

家事

他人の邪曲(よこしま)を観るなかれ

他人のこれを作し

かれの何を作さざるを

観るなかれ

ただおのれの

何を作し

何を作さざりしを

想うべし

 (友松圓諦「法句経」50)

 

 

なぜ男は家事をしないのか...!

「かれの何を作さざるを観るなかれ」難しい。