世界が完璧に

かつて恋人といるとき、時々世界が完璧に見えることがあった。その感覚はいつも一瞬で消え去ってしまったけど、それこそわたしがずっと探していたものだったので、

この人と結婚すれば世界は完璧になると思った。

恋人が夫になったのち、どういうわけか完璧な世界は姿をみせなくなった。

満腹なのに、甘味が欲しくなるように、満ち足りていて、でもまだ何か足りない。

 

モルガン氏への反論

なぜ彼は自分の市場価値が年々増加していくと無邪気に信じられるのだろう?

 

採掘が進み現在採掘量は最高潮に達しているが、20年後には枯渇する鉱山と

 

採掘し始めたばかりだが、埋蔵量に期待のできるデータのある鉱山と

 

どちらの投資価値が高いか。

 

鉱山が同じく50年で枯渇するとして、

採掘歴30年の鉱山を買うより、採掘歴10年の鉱山を買った方が長く利益が得られる

 

ん?30年間の既採掘分は保管してある?それならこれからも保管しつづけて使わないだろうね。あ、死ぬときまで待ってるの?それなら30年の方が買いだね!

 

自分で掘り進める楽しみを感じるのは男だけ

しわしわの肌よりすべすべの肌が好きなのは男だけ

生殖能力が衰えるのは女だけ

 

なんてのはすべて幻想だからね!

 

 

 

 

 

 

 

 

心の空虚

時間の隙間を埋めるようにひたすら本を読む。

でも一々買っていてはお金が続かない。

その点、図書館は本を無料で貸してくれるのでまさに夢のような場所だった。

 

いまは状況がさらによくてKindle unlimitedを使えばいくらでも借りられて、外出先でもどこでも読書ができる。

 

だけど。わたしがこんなに本を読むのは、本当に読書が好きだからなのだろうか。

知識は増やしたいと思う。でも1日1冊くらいのペースで読んでいて、大抵の知識はあとで思い出せない。

本で読んだから、 Aがある ことは覚えているけど、 Aはなにか までは引っ張り出せない。

つまり知識として身についていない

 

じゃあなぜ読書をしまくるかといえば、

心の空虚を埋めるため 

かもしれない。

 

空虚があるのを知っているのは、 それが満たされていたことがあるから でもなにで?どうやって?

わからないから

今日もわたしは読書をする。

心の空虚は一時的に埋められるし、どこかに埋め方が書いてあるかもしれないから。

 

輪廻

仏教もインド思想もすごく面白くて、この思想とともに人生を生きていけたらどんなに心強いかと思うのだが、

 

肝心の

 

二度と輪廻転生したくない

 

という気持ちが理解できないので、

仏教徒にもヒンドゥー教徒にもなれそうにない。

 

むしろ輪廻転生しまくって、あらゆる人種、あらゆる階層、あらゆる動物、あらゆる植物の視点でこの世界を観てみたい。と思えるのはわたしが恵まれた環境で生きているからなのか。

 

ちなみに二度と産まれないメリットが大いなるものとの合一ならそれもありっちゃありかなと思うので、どちらかというとヒンドゥー教寄り。

 

ま、死後のことなど考えてもわからないので、

善く生きよう。