あげまん さげまん実在説
その人の体内にどんな細菌がいるかにより、身体はおろかメンタルの状態までも影響されるという。
ということは配偶者の保有する細菌がよいものだったら、生活しているうちに細菌感染して、自分の体や心の状態もよくなる可能性があるし、逆もまたしかりである
夫婦が似てくるとはこういうことなのかもしれない
セラピー迷子の方へ
子供の頃からずっと生き辛かった。
しかし何年も模索を続けて、だいぶ回復してきた。
これは単に、中井久夫氏の本で読んだ「とにかく三十まで生きてみなさい、あなたの中で何かが変わり何かしら生きやすくなるから」ということや、
ある種の人格障害は年を重ねると軽くなるということから、ただ年を取っただけという可能性も否めないが、
馬鹿にならない費用と時間を費やした回復のための方法論が、すこしは効いたのかもしれないと思っている。
回復のための方法論はそれこそ無数にあって、そもそもどれがいいのか分からなかったり、ある程度までは回復してもそこから先に進めなかったりで、かつての私はセラピー迷子状態だった。
でも、最近読んだ本に回復の道筋が書いてあった。あとから思い返せば回復のために効果的だった方法論とぴったり一致していたし、これを先に読んでいれば、足踏みせずに回復できたと思う。その本は
ケンウィルバー著 「無境界-自己成長のセラピー」
とはいえ、先に読んでいればと書いたけれど、回復していないときにこの本を読み通すのは私にはきつかったと思う。
要は人間の精神状態には段階があって、その段階に応じて効果的なセラピーも違うというのだ。
効果が分からなくなってもずるずると傾聴スタイルのカウンセリングを続けていた私には目からうろこだった。
私の場合で言うと、
1.動けない。消えたい。→薬、傾聴、夢分析:安定剤でごまかしながら過去のトラウマを吐き出しまくった。
↓
2.もはや死にたくはないがやる気が起きない→この時点で傾聴、夢分析を3年くらい受けていたが、この状態は改善できず。→交流分析、アダルトチルドレン、愛着障害関連の書籍で自分に何が起きているかのイメージをつかむ。五感、感情を大切にするよう指導するクリックに通う。
↓
3.動けるようになったが、時々とても苦しくなる。→マインドフルネス療法、座禅:マインドフルネス療法はびっくりするほど効いた。たった数回で。でも1の状態の時に受けてもあまり効かなかったんじゃないかと思う。ちなみに座禅はあまりぴんとこなかった。
↓
4.自分と仲良くできるようになった。他人から心を守れるようになった。でもこの世にはもっと目に見える以上の何かがあるんじゃないかということに関心が向き始める。→ヨガ:終わった後は心も身体もすっきりする。インド哲学は私の真理探究欲をみたしてくれる。
いまは週1のヨガで大分安定している。
ウィルバーによるともっと上の段階があるようだけど生きやすさの観点では大分楽になったので今のところはヨガを続けるつもり。
というわけで、かつての私のようにセラピー迷子になっている方がいたら、「無境界-自己成長のセラピー」、おすすめです。
モルガン氏への反論
なぜ彼は自分の市場価値が年々増加していくと無邪気に信じられるのだろう?
採掘が進み現在採掘量は最高潮に達しているが、20年後には枯渇する鉱山と
採掘し始めたばかりだが、埋蔵量に期待のできるデータのある鉱山と
どちらの投資価値が高いか。
鉱山が同じく50年で枯渇するとして、
採掘歴30年の鉱山を買うより、採掘歴10年の鉱山を買った方が長く利益が得られる
ん?30年間の既採掘分は保管してある?それならこれからも保管しつづけて使わないだろうね。あ、死ぬときまで待ってるの?それなら30年の方が買いだね!
自分で掘り進める楽しみを感じるのは男だけ
しわしわの肌よりすべすべの肌が好きなのは男だけ
生殖能力が衰えるのは女だけ
なんてのはすべて幻想だからね!
無意味
人間は無意味に耐えることができない
無意味さから逃れるためなら、我々は進んで原罪を負い、過去のカルマを引き受け、名も知らぬ先祖の祟りに合う 意味があればそれでいいのだ
祝祭
人生は祝祭である
何かが起こった?
それでも、人生は祝祭である
心の空虚
時間の隙間を埋めるようにひたすら本を読む。
でも一々買っていてはお金が続かない。
その点、図書館は本を無料で貸してくれるのでまさに夢のような場所だった。
いまは状況がさらによくてKindle unlimitedを使えばいくらでも借りられて、外出先でもどこでも読書ができる。
だけど。わたしがこんなに本を読むのは、本当に読書が好きだからなのだろうか。
知識は増やしたいと思う。でも1日1冊くらいのペースで読んでいて、大抵の知識はあとで思い出せない。
本で読んだから、 Aがある ことは覚えているけど、 Aはなにか までは引っ張り出せない。
つまり知識として身についていない
じゃあなぜ読書をしまくるかといえば、
心の空虚を埋めるため
かもしれない。
空虚があるのを知っているのは、 それが満たされていたことがあるから でもなにで?どうやって?
わからないから
今日もわたしは読書をする。
心の空虚は一時的に埋められるし、どこかに埋め方が書いてあるかもしれないから。