Stuckしている理由

『それは自分の中にあった』とスピリチュアルな文脈で発見されるところの『それ』が現にわたしを生かしているエネルギー的なものだと仮定して、今生きているのだからそれは確かにわたしのなかにあるのだが、それは、水が滞留すると腐るように、循環させないと腐るのだ。あるいは、交換しないと使えないお金のように、誰かや何かと交換する必要があるのだ。

 

誰かにやさしい声をかけたり、かけられたり、誰かのためにご飯を作ったり、美味しいっていわれたり、誰かを笑顔にさせたり、させてもらったりして、自分以外の誰かと交換したり。

 

運動をしたり、ヨガをしたり、自分にやさしい言葉をかけたりして、自分の足や腕や心と交換したり。

 

本を読んだり、ていねいにご飯をつくったり、ペットを可愛がったり、植木鉢に水をやったりして、作者や食べ物や動植物と交換したり。

 

自分のエネルギーを交換することによって、エネルギーは腐らず、人は活き活きと元気になれる。

 

わたしが夫不在のいまStuckしている理由は、エネルギー交換の相手を全面的に夫に依存しているから、だ。

エネルギーが不足していると思いこんでいるため(じつは交換不足なのだが)、極力すべてを省エネ化する。そしてすべてがめんどくさくなる。

職場の人とは浅くしか付き合わないし、少ない友人にも極たまにしか会わない。料理も洗濯もめんどうだ。疲れてるのに運動なんてもってのほか!

そうやっているうちに自分のなかのエネルギーは腐っていって、こんなエネルギー、他人にはあげられないとおもい、人を避けて余計腐らせる、この恐ろしいスパイラル。

 

と、分かっているつもりなのだけど、渦中になるたびに忘れるので、次Stuckしたときのための行動指針。

 

1.身体を動かす

2.見知らぬ誰かにやさしくする

3.自然に触れる

4.生きた食べ物をたべる(踊り食いという意味ではない)

5.交換を意識して行動する

 

とりあえず、職場の人に朗らかに挨拶するところから始めようかな。

 

 

 

 

空虚

夫は出張が多くて不在がちなのだけど、今回は特に長い。

1,2週間は平常モードでいられるのだけど、それをすぎると途端に、空虚感に覆い尽くされる。そして何もかもめんどくさくなる。

平日は仕事にいかなければならないのでまだマシだけど、休日になるとお風呂にも入らず、洗い物もせず、なにかしらのスピリチュアルグッズをネットで買い漁るという我ながらヤバイ状態になる。

なんとかしないとと思うのだけど気力がわかない。

とはいえ、この空虚感は新しく登場したものではない。大学生で一人暮らしをしていた頃はもっとひどい状態だった。そんなとき、夫と出会って、あぁ、やっと、人生で本物を見つけたと思った。生きていることをはじめて実感した。たぶん他の人が天職を見つけたときもこんな感じなんだろうなっていうような。

 

夫がいるときはわたしは幸福だ。夫がいないとわたしは空虚だ。

でも夫はわたしがいなくても遠い国で生き生きと仕事をしている。

 

昔読んだ本に、あなたがいなければ生きていけないというのは、愛ではなく依存だとかいてあった。

 

だけど、じゃあどうすれば、どうすればいいのだろう。

 

 

正義は

どんなときでも勝たねばならないのだろうか

真実は必ず暴かれなければならないのだろうか

たとえば夫の怪しい行動を察知したとして、見事!浮気の現場を押さえられたとして、

離婚するとしたら慰謝料なんて高々300万、

婚姻を継続するとしても失われた信用はなかなか戻らない。

それなら、ん?っと思ったときに深追いしないで急ブレーキを踏む選択肢だってありだと思う。

 

自分モラハラ

夫から毎日モラハラを受けている奥さんに、もっとはつらつと、元気にいこうよ!なんていう人はいないのに、抱えているコンプレックスを誰よりも熟知したうえでモラハラをしかけてくる自分自身から24時間逃れられない私に元気を出せといったところで。

評価する私と評価される私を統合できたら一番いいのかもしれないけど、もし難しいならせめて誉めてやる気出させてよ自分。

 

自己嫌悪しているうちは

なにもしなくていい。

なぜこのような顔をしてなぜこのような仕事をしなぜこのような人たちと過ごしているのか、自己嫌悪しているうちはなにもしなくていい。なぜに対する答えは永遠に見つからないから。

このような顔をしてこのような仕事をしてこのような人たちと過ごしているのが紛れもなくこの自分だと引き受けないことにはどこにもいけない。心の奥そこから聞こえる。

I'm here! It's me! I'm here! It's me! 

 

 

適応能力

「最も強い者が生き残るのではなく、
最も賢い者が生き延びるのでもない。

唯一生き残ることが出来るのは、
変化できる者である。」と本当にダーウィンが言ったかどうかはおいといて、生命の誕生から連綿と命を繋げてきたものたちの子孫たる我々には恐るべきほどの適応能力が備わっていて、物の話では 結婚したり宝くじに当たったり目標を達成したりした幸福感も 離婚したり死別したり障害を負ったりした絶望も 時間がたてばその状態に慣れることで薄れていって大体元の程度に戻るそうだ。

ずっと幸福で居続けられないことはずっと不幸で居続けなくてよいことと表裏一体であり生存には有利なのかもしれないが、幸福を追求せよと煽りたてる(消費活動を活発にするために)社会のなかでは幸福でない自分にはなにか重大な問題があるように思ってしまう。

だけど私が幸福でないのはご先祖様から受け継いだ適応能力のせいだ。それは絶望から私を救い、幸福を奪う。そして生命を繋いでいく。

もやもや

最近心が晴れない。

冬に元気がなくなりやすいタイプなので、それもあるかもしれないけど、まだ過ごしやすい気候なのに。

仕事は飽きているけれども強い不満はなく、夫とも仲良くやっている。特に困っていることも悩んでいることもない。

だけど、日々心に溜まっていく澱。有休とって、一人、温泉に行ってみたけれども、効果なし。

ヨガに行ったら幾分ましになった。でもましになっただけ。

友人と高級料理を食べに行けども、そこにおり、休日に一日中寝てもそこにおり。

このもやもやは一体なに。

でも少しだけ心当たりがある。

やるべきことから逃げているときの憂鬱。

ささいな、でも放置されたTo Do たちが私から気力を奪う。