私という現象が

風に吹かれてまわる風車だとして、風が吹きやめば、風車はただの物体になるし、風車がこわれれば、風は風車をまわすことができない じゃあその現象の実体は風かというとそうではなく 風車かというとそうでもない その現象が終わっても 風はどこかで吹き続けるし 風車は土に還って新たな生命を育む それはもはやここに立ち現れている私という現象ではない でもそれは続いてきたしこれからも続く 風が恐竜のほほを撫でていた頃から地球が太陽に飲み込まれる時まで あるいは宇宙が始まった日から収束するその日まで

すべて存在するものは

よきものであるとはトマスアクイナスの言葉らしいが、わたしは小さな頃から自分の存在が不安だった わたしはここにいていいのか わたしは正しい行動をしているか

この大きな不安はずっとわたしのそばにいて、成長過程で形を変えながらわたしを占拠した

小学生のころはクラス替えのたびに仲良しのこができるか

中学生のころは第一志望の高校に受かれるか

高校生のころは第一志望の大学に受かれるか

大学生のころは資格試験に合格できるか 

20代のころは私を愛して結婚してくれる人がこの世にいるのか

30代にはいったいま はたして子供はわたしのもとにやってきてくれるのか 子供が産まれたとしてきちんと育てられるか

 

これらの不安をごまかすために神頼みをし、カウンセリングをうけ、お守りを買い、留学をし、ヨガをならい、できることはなんでもやった

 

あぁでもそいつはいつでもいる

わたしはここにいていいのか

わたしはただしいのか

 

すべて存在するものはよきものである

すべて存在するものはよきものである

お守りやら聖地やら

昔から不思議なものが好きだった。高校生の時に近くのアジアン雑貨店でなぞの実がはいった"願いの叶う"ペンダントを買ったのが始まりで、大人になって行動力があがったのをいいことに、ご利益があるといわれる神社にいけばお守りをかい、フランスでは奇跡のメダイ、インドではヤントラやら神像、産地にいけばパワーストーンを買い、謎の言葉を彫ったオリジナルリングもつくり、日本どころか世界の聖地も巡って私利私欲を願いまくり、世界のメジャーな宗教の聖典も揃えた(一応読んだ)

 

そしておもう、あぁわたしはなんて不安で不安でいっぱいだったのだろう

夫にもらったシンプルな結婚指輪と母がつけてたネックレス以上に強い護符はたぶんない

そしてほんとうはそれらも 必要ないのだ

自分の魂とつながってさえいれば