サンタはいないのと同じように
この世でたった一人の私にぴったりの王子様は存在しない。
前者はまだかわいい。プレーヤー1(親)はそれが幻想だとわかっているし、プレーヤー2(子)も友達に教えられたり、ある日サンタが来なくなったりして、いつか気づくときが来る。
しかし、後者はとてもやっかいだ。
プレーヤー1(女)への洗脳は終わらない。幼児のうちはお伽話のお姫様、少女になってからはほぼ恋愛がテーマの少女マンガ、長じてからは月9のドラマで、繰り返し繰り返し、洗脳される。
この世のどこかに私にぴったりの男の人がいて、いつかその人が私を見つけ、いつまでも幸福に暮らすことができるだろうと。(ロマンチックラブイデオロギー)
一方プレーヤー2(男)には、その洗脳はほとんどなされない。幼少期から彼らに提供されるコンテンツの多くは友情!根性!戦い!世界!に満ちていて、恋愛はおまけのようだ。もっとも、ジブリ映画や流行歌などで、彼らにもそのイデオロギーはある程度までは共有されているから、交際初期に女と一緒に幻想を視ることもできるし、モテる男などは女の求めに応じて、ロマンチックなそれらしきものを提供しつづけたりもする。
こうして、幻想のうちに結婚した男女に早晩悲劇が訪れる。イデオロギーに染まりきっていなかった男たちは、戦いの世界に戻っていくし、女達はあんなに愛した男が王子様ではなかったことに気がついて、愕然とする。
結婚しなくとも、幻想を共有してくれる男と出会わない場合は、いい男がいないとなげき、あるいは幻想を共有している期間に結婚しなかった女性は、この人も王子様ではなかったと見切りをつけ、また王子様探しを再開する。
ああ 日本のどこかに 私を待ってる 人がいる(fromいい日旅立ち)
でもいないのだ。
私を満たし、生涯私を幸福にしてくれる王子様などは。
実際にいるのは、一緒に生活を創り上げていくパートナーだ。それに、夢見た王子様ではなかったかもしれないが、私が今日派手に転んだり、転職したり、結婚したり、子供を産んだりという、社会にとっては極めてどうでもいいことに、興味をもってくれる人が親以外にいるということは、なんと充分に嬉しいことだろう。
だから、当該イデオロギーはただのお伽話だと目を覚ます女性が増えれば、男女のすれ違いは減り、幸福度は増すのではないかと思う。
まぁ欧米のように男女ともロマンチックラブイデオロギーを深く共有するという方向もあるかもしれないけど。