howではなくwhyがやりたいなら

ある高名な先生が、東大在学中に、 how(どのように)ではなくwhy(なぜ)をやりたいなら東大辞めて京大に行けと言われたと書かれておられたのを見て、昨今のコロナ有事下で露呈した政府と国民の間の絶望的な断絶の原因がわかった気がした。

 

国民は悪手と感じる政策に対してwhyを問うが、学生時代からwhyを切り捨てhowのみ考えるよう訓練されてきた官僚たちはその答えを持ち合わせていない。
もちろん政策実行者たる彼らにはhowを存分に考えてもらう必要がある。
だけれども組織として、ほんの少しでも、与えられた命題にwhyを問える風土があったなら。

 

オリンピックは今年必ず開催しろ(命題)→検査数を絞って陽性者数を減らそう(how)
→オリンピック開催の目的は?この状況下で実行することでその目的を達成できるのか?(why)

 

旅行代理店業界を国民の反感を得ない形で潤す方法を考えろ(命題) 
→旅行代理店を通した旅行の半額補助はどうでしょう。自分が得していると感じるときは他人の得にも寛大になれますよ(how)
→苦しんでいる業界は他にもたくさんあるのになぜ旅行代理店業界だけ?コロナ感染拡大局面の今実行したら苦しむ人がより増えるのでは?(why)

 

そこにwhyがあれば命題が誤っていることに気がつける。状況が変われば立ち止まることだってできる。だけどhowしかなければ誤った命題でも愚直に実行するだけ。

howしかもたない官僚組織の中で例外的にwhyを問うた人は辞めていくか潰されてしまう。

 

多くの人は政治家を変えろと言うけれど、政治家なんて構造的にいつの時代も利益誘導と再選のことで頭がいっぱい。

だから私は、官僚組織が、少年少女の頃はwhyに夢中だっただろう日本屈指の頭脳を持つ彼らが、いつの間にか切り捨てきたwhyを取り戻すことが日本再建の第一歩だと思う。

 

 

(それか京大卒を優先登用しよう)