クローン
自分のクローンを作りたい人の気は知れないが、想像するに、
大概の場合、クローンはクローン自身のためではなく、クローン元の人間のために生み出されるだろう。本体が生き延びるために臓器を取るなり、厭なことの身代わりにするなり。中には、幼い子どもを残していくのが不憫で代わりになんてケースもあるかもしれないが、何にせよクローンに対して、それがわたしであるという意識はないはずだ。
ところでわたしの身体を構成している細胞は日々生まれては死んでいき、7年もたつと完全に入れ替わるらしい。
全く同じ遺伝子情報を載せた全然違う細胞によって構成された生命体という意味では、今のわたしは7年前のわたしのクローンのようなものだ。それにも関わらず、わたしは7年前のわたしと同じ人間だという意識がある。
一方でたとえばわたしが5分後に何らかの理由で、記憶喪失に陥り、記憶が永久にもどらなかったとしたら、構成する細胞はほとんど変わらないにもかかわらず、記憶喪失後のわたしは5分前のわたしと同じだと言い切れるかかなり怪しい。
つまりわたしとは実体のないただの概念なのかもしれない。
日本人が生まれては死に、その構成員がいくら入れ替わっても日本国があるように、構成員が全く同じでも占領されたら別の国になるように、そして国というものが実体のない概念であるように
わたしの細胞がいくら入れ替わっても、わたしだと思うように、記憶を失ったらわたしではない気がするように、わたしとはただの実体のない概念なのかもしれない。
日本人は日本国を幻想できる。
細胞がわたしを幻想しても不思議ではない。
女の幸せ
女の人生の幸せとは何なのかが未だにわからないので、
もしわたしに女の子が産まれたら、どういう方針で教育したら良いのかわからない。
男の人生は簡単だ。勉強でもスポーツでも、ひたすら打ち込んだ先に、経済的成功も、家庭的幸福もついてくる。だから男の子が産まれたらひたすら励ますつもり。
でも女はそうとは限らない。打ち込んだ先に経済的成功はついてくるが、家庭的幸福は必ずしもついてこない。難関国家資格に通った友人たちは研修中に配偶者を見つけるようアドバイスされたらしい。キャリアの女に引く男は社会に多いし、引かない男の競争率は高いから。
私はといえば21世紀にもなって「女に学はいらない」と平気で言い放つ人の多い男尊女卑の強い地方に育ち、男などには負けないと勉強だけの青春をすごし、親に無理をさせて東京の大学にでて、資格の勉強に励んでいたけど、このまま進んでも一生愛されることはないかもしれないと、急に不安になって勉強を休止していたときに夫に出会い、結婚し、誰にでもできる仕事をしている。
女に学はいらないと言ってきた男の娘は高校の同級生と結婚し、3人の子供をもうけて幸せそうに暮らしている。
私には女の幸せが何なのかわからない。勉強して得た環境でなければ私の好みの男(夫)には出会えなかったかったから勉強したことに後悔はないけど、私に投入された教育費と税金について考えると申し訳ない気持ちにもなる。
いまわたしは女の職業には薬剤師がいいと思ってる。もちろん娘に強制するつもりはないけど。