積善の効用

他人の見ていないところで善いことをしたところで、幸運が訪れるかはわからないし、天国にいけたり来世で良い身分に生まれたりできるかは私にはわからないけれども、ひとつだけいえるはっきりした効用は

自分のことを善い人間だと思えることだ。

一生一緒にいるつもりで結婚する配偶者はみんな一生懸命選ぶはずだ。

ましてや24時間365日ずっと一緒にいるこの魂を、すこしでも善いものにできるのなら。

 

意地悪な人に会うと誰よりも本人が気の毒になる。あぁこの人はずっとこんな意地悪な魂と一緒にいなければならないのだと。

 

 

真実はない

同程度の厳しいストレス状況下で、「ストレスは健康に悪い」と考えていた人たちの寿命は短く、「ストレスは成長の機会だ」と捉えていた人たちの寿命は、ストレスの少ない人たちよりも長く、そして幸福だったという。

 

ストレスは健康に良いのか悪いのか。真実は分からない。第一ほんの数十年しか生きていない人間に、46億年の地球の真実なんて分かりっこない。

 

それならば、自分にとってより目的適合的な考え方を「採用」すればいいだけだ。

 

自分は美しいの醜いのか。死んだら消滅するのかあの世にいくのか。輪廻転生はあるのかないのか。戦争はよいのか悪いのか。そこに人間にわかる真実はない。ただどう考える方が自分の目的に沿うかを思考し、そちらを採用することしかできない。それは決して真実ではないから、もし目的に合わなくなったら、軽やかにそれを捨てられる。

自分の思い込みを一つ一つ点検し、それを採用していることがベターなのか否か検討する膨大な作業、なんてワクワクするのだろう。

 

万人にとっての正しさはないけれど、それぞれにとってのベターはあるのだ。 

 

 

 

 

朝目覚めたときに

与えられたエネルギーを何に使っているかをつねに意識したい 大切につかいたい 漫然とではなくて

明日も与えられるかはわからない貴重なエネルギーを人の悪口をいったり憎んだりしてつかいたくない

私という現象が

風に吹かれてまわる風車だとして、風が吹きやめば、風車はただの物体になるし、風車がこわれれば、風は風車をまわすことができない じゃあその現象の実体は風かというとそうではなく 風車かというとそうでもない その現象が終わっても 風はどこかで吹き続けるし 風車は土に還って新たな生命を育む それはもはやここに立ち現れている私という現象ではない でもそれは続いてきたしこれからも続く 風が恐竜のほほを撫でていた頃から地球が太陽に飲み込まれる時まで あるいは宇宙が始まった日から収束するその日まで