すべての人間は自己満足のために行動している。

といったのはマーク・トウェインだったと思うが、マザー・テレサでもトランプ大統領でも、自己満足のために行動してる点では変わらない。

 

でも自己満足の中身は人によって大きく違う。我が身の欲求が満たされれば満足という人もいれば、手助けした他人の笑顔をみると満足するという人もいる。

 

これは、自己世界に誰が住んでいるかによるのだと思う。

愛犬家はたとえ絶景の露天風呂に入って、ご馳走食べながらビールをのんでいても、愛犬が病院で苦しんでいては満足できないだろう。それは自己世界に自分以外に愛犬もいるからだ。マザー・テレサの自己世界には恵まれないたくさんの子どもたちが、多くの人には自己と一部の大切な人だけが、犯罪を侵す人には自己の欲望だけが住んでいる。

他人はコントロールできない。ペットもいつ病気になるか分からない。だから手っ取り早く自己満足するには自己世界から自分以外を追い出すことだ。自己の欲求を満たすだけなら現代日本ではたやすいことだ。そういう風潮も、それを肯定する言説も最近の大流行りのようだ。ただ、自己世界が他人に占拠されている人もいる。そういう時にはそれはとても有用なアドバイスだ。でも回復したら自己と他者の境界をはっきりさせつつ、自己世界を充実させたほうが、そしてそういう人が増えた方が、この世界は優しくなるのではないかと思う。

 

とはいえ、わたしと夫をむすびつけたのは、お互い絶望的なまでに自己世界で一人ぼっちという共通点だった。

 

 

 

積善の効用

他人の見ていないところで善いことをしたところで、幸運が訪れるかはわからないし、天国にいけたり来世で良い身分に生まれたりできるかは私にはわからないけれども、ひとつだけいえるはっきりした効用は

自分のことを善い人間だと思えることだ。

一生一緒にいるつもりで結婚する配偶者はみんな一生懸命選ぶはずだ。

ましてや24時間365日ずっと一緒にいるこの魂を、すこしでも善いものにできるのなら。

 

意地悪な人に会うと誰よりも本人が気の毒になる。あぁこの人はずっとこんな意地悪な魂と一緒にいなければならないのだと。

 

 

真実はない

同程度の厳しいストレス状況下で、「ストレスは健康に悪い」と考えていた人たちの寿命は短く、「ストレスは成長の機会だ」と捉えていた人たちの寿命は、ストレスの少ない人たちよりも長く、そして幸福だったという。

 

ストレスは健康に良いのか悪いのか。真実は分からない。第一ほんの数十年しか生きていない人間に、46億年の地球の真実なんて分かりっこない。

 

それならば、自分にとってより目的適合的な考え方を「採用」すればいいだけだ。

 

自分は美しいの醜いのか。死んだら消滅するのかあの世にいくのか。輪廻転生はあるのかないのか。戦争はよいのか悪いのか。そこに人間にわかる真実はない。ただどう考える方が自分の目的に沿うかを思考し、そちらを採用することしかできない。それは決して真実ではないから、もし目的に合わなくなったら、軽やかにそれを捨てられる。

自分の思い込みを一つ一つ点検し、それを採用していることがベターなのか否か検討する膨大な作業、なんてワクワクするのだろう。

 

万人にとっての正しさはないけれど、それぞれにとってのベターはあるのだ。 

 

 

 

 

おとしもの

ふとした自分の行動で気づいた。

あぁわたしは いつかのわたしがこの世で一番大事だとおもったことを どこかに落っことしてきてしまった

愛されていないと思うのは愛していないからだったりして

朝目覚めたときに

与えられたエネルギーを何に使っているかをつねに意識したい 大切につかいたい 漫然とではなくて

明日も与えられるかはわからない貴重なエネルギーを人の悪口をいったり憎んだりしてつかいたくない